写真を撮ることと観てもらうこと
「写真を撮ることは、記憶の補完である」
そういうスタンスで撮ってきた。
というか、そう規定してきた。
ワタシの中では「記憶の補完作業」には2種類あって、
ひとつは「遠き日の記憶を現在の街中で見つけ出す行為」
もうひとつは「今日のこの記憶を後日に残すための行為」である。
「自分のための写真」はそれでもいいかもしれないが、
「写真展で誰かに観てもらうための写真」は、
いや、さすがにそりゃイカンだろうと
この夏のローライ写真展の作業を進めていたときずっと考えていた。
大層な自己主張を振りかざす輩には辟易するが
フワフワボヤボヤの世界も性に合わない。
出した答えはシンプルで、「真摯に撮る」それだけのことだった。
都合のいいことに、ローライというカメラは撮り手の姿勢が素直に表現される。
それは(良し悪しという意味でなく)写真を見ればすぐわかる。
ローライというカメラとまっすぐ向き合って
写真を撮る行為とそこに至る過程を楽しんでいるな、と。
さて、今日はローライで撮った写真展を観に行く。
まったくちょっとホントに遠いんだが楽しみだ。
by leica_m4m
| 2010-12-11 02:00
| GRD
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