ライカで銀塩はデジタル時代の必然か
ローライを選ぶ理由はわかりやすい。
だが他の35ミリ判カメラを差し置いて
ライカを使う必然性は相対的に低いように思う。
チョートク先生が説く精神世界にはずいぶん傾倒したが、
ライカのメカニズムの精巧さや現代における希少性への共感を
「手に入れなければならない」「保護しなければならない」と
ワタシを含む多くの人に思わせるところまで高めた氏の功績はやはりすばらしい。
(ライカワークショップ早く読まなきゃ)
実際のところ「ライカは不自由なカメラ」であるが、
いまそれを言っても仕方がない。
むしろ「ライカで撮って銀塩プリントを焼きたい」という願望を
複数の友人・知人が抱いているという事実にこそ注目したい。
そういう人たちは、いわゆる「ライカ人類」とは違う
「ライカ新人類」なのかもしれない。(笑)
by leica_m4m
| 2010-12-12 11:38
| Leica M
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Comments(2)
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kawamutsukun at 2010-12-13 23:55
楽しく読ませて頂きました(笑)
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leica_m4m at 2010-12-14 08:30
お、ありがとうございます(笑)
ライカワークショップ読み始めました。
ライカワークショップ読み始めました。