私たちの知っている葉ちゃんは
地元船橋についてもうひとつ知っていることがあった。
太宰治と船橋の縁についてである。
太宰は1935年(昭和10年)の夏からわずか1年船橋に住んだ。
船橋町五日市本宿(現船橋市宮本)の借家というから
ワタシたちが先日歩いた付近である。
最初の作品集「晩年」は太宰がここに暮らした年に出版された。
「私には千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。(中略)
どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、
私は、たのむ! もう一晩この家に寝かせて下さい、
玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ、庭の青桐も僕が植えたのだ、
と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない」
と「十五年間」の中で書いている。
代表作のひとつ「人間失格」は次の一文で終わる。
「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、
あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、
......神様みたいないい子でした。」
船橋の喫茶店での会話であった。
( ̄▽ ̄)
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by leica_m4m
| 2016-05-09 23:19
| Leica M
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