東京クラブ
昭和初期の建物がつぎつぎと姿を消している。
昔懐かしい銭湯や商店、住宅のごく一部は
江戸東京たてもの園に移設されたが、
保護の対象となる文化的・歴史的価値を
見出された物件は実に少ない。
大型のテナントビルは移設など到底不可能で
「家賃収入を得る」という大原則から言っても
建て替えざるを得ないケースがほとんどだ。
奇跡的に生き残っている九段下ビルでさえ、
フルにテナント契約が成立しているはずもない。
仮にウチの会社が「九段下ビルに引っ越す」ことになったら
社員からの猛反発は容易に予想できるし
電源やネットワークなどファシリティ的な問題も解決できるとは限らない。
こうした建築物に「住んでいる」「使っている」
あるいは「所有している」ということは、
常に様々な現実と対峙しているわけで、
それは単なるノスタルジーや美化されたイメージに基づく
保存思想などとは同じ土俵で語れない切実な課題であるはずだ。
だから、
またひとつ懐かしい商店が営業を停止し
またひとつ美しいビルディングがなくなっても
それを記憶にとどめておく作業を続けるしかない。
TOKIO!--かつてYMOがそう叫んだ瞬間、
すっかり古ぼけて黄ばみきっていた東京は
世界に名だたるテクノポリスへと変貌を遂げた。
破壊と創造、集中と分散と再統合、そして衰退から再生へ
そうやって、建物や街は何度でも生まれ変わるのだ(と信じたい)。
ここ浅草六区は、明治、大正、昭和を通じて
興業や映画で賑わい東京屈指の娯楽街として発展した。
建物や街の栄枯盛衰を語るには最適な題材かもしれない。
89年の夏、まだ六区にあったころの「東京クラブ」。
これ、いつの写真!? ハイ、1989年の7月です。
Nikon F2に35mm F2、エクタクロームで撮りました。
by leica_m4m
| 2008-04-15 18:49
| archive
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Comments(6)
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bosotaisho at 2008-04-16 05:54
leica_m4m さんは、すれ違い際のマジシャンでしたのね^^
バブルの頃なのに、昭和30年代をミラーの先から感じます☆
バブルの頃なのに、昭和30年代をミラーの先から感じます☆
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leica_m4m at 2008-04-16 13:08
大将☆さん
ありがとうございます。(^^
20年前のポジを見ていたら出てきました。
東京クラブは浅草六区にあった名画座で、昭和3年の建築だそうです。
今はフットサル場になっているところです。
背後から見ると「モスラの幼虫」のような特異な外観だったのですが、
残念ながら!モスラのショットは見つかりませんでした。
ありがとうございます。(^^
20年前のポジを見ていたら出てきました。
東京クラブは浅草六区にあった名画座で、昭和3年の建築だそうです。
今はフットサル場になっているところです。
背後から見ると「モスラの幼虫」のような特異な外観だったのですが、
残念ながら!モスラのショットは見つかりませんでした。
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isanoid at 2008-04-16 17:39
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leica_m4m at 2008-04-16 19:35
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GG-1 at 2008-04-17 13:54
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leica_m4m at 2008-04-17 20:33
GG-1さま
こちらこそお越しいただき光栄です。
GG-1さまの東京クラブ内部の写真にはビックリしました。
貴重な建築遺産や味のある意匠、
これからも楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いします。
こちらこそお越しいただき光栄です。
GG-1さまの東京クラブ内部の写真にはビックリしました。
貴重な建築遺産や味のある意匠、
これからも楽しみにしております。
どうぞよろしくお願いします。